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  むかしむかし、小さな美しい水の国に一人の王子様がいました。
  王子様は近隣の国々にも詠われる、とても美しく賢い方でした。
  あるとき、王子様の花嫁を決めることになりました。
  ところが、王子様はどんなに可愛らしいお姫様を連れてきても「うん」と言いません。
  幾人ものお姫様が断られ、困り果てた王様と大臣たちは、それならば、好みの娘を自分で 
 選ばせようと国中の年頃の娘たちを集めて舞踏会を開くことにしました。
  

***

 「信じらんなーいっっ!!こんの大事なときに怪我するなんて!しかも足!骨折!」   さっきから同じ台詞を繰り返して、ヒステリックに松葉杖を振り回しているのはこの家の  長女である。   近所でも評判のこの娘は綺麗に巻いた豪奢な金髪に、その髪に負けないどころか圧倒する  ような美しい顔の持ち主である。ヒステリックに喚き散らしているにもかかわらず、それは  醜くなどなく、燃える炎のような印象になる。   彼女に、陳腐な言い方ではあるが、メロメロな男はそれこそ腐る程いる。   が、絶対に彼女にメロメロになることはない男―彼女の弟は溜息をついて、口を開いた。  「自業自得じゃないか。お城の舞踏会直前になってマヌケにも階段からすっ転んだのは…」  「うるさいわねっっ!好きで転んだんじゃないわ!」  「そりゃ、好きで転ぶ人はいないだろうけど、浮かれて足元不注意だったのは…」  「浮かれてなんかないわよ!」  「浮かれてたじゃないか。『私に決まってるわ!』とかって」   上手に姉の口真似をしてみせた弟は、ふいに顔を上向かされ驚いた。   驚かせた方の姉は真剣な目と口調でこう言った。  「もう一度言ってごらんなさい」   じゃれあいのようなやりとりから、こんなに真剣に姉が怒るとは思っていなかった弟は  「え、あ、ごめん」  と、口篭もりながら謝罪をしたが、姉は首を振り  「そうではなくて、もう一度、私の真似をしてごらん」  と、慣れた調子で命令した。   姉の顔を見上げる形で固定されたまま、姉の真似をするのは何とも無様で嫌だったのだが、  完全に顔が姉の手の内にあるときに反抗した場合の恐ろしさをよくよく知っている弟は  「『どうして、私がそんなこと…』」  よく姉が口にし、よく彼がそれをからかう為にする口真似を、本心からしてみた。  「そうよ!あんたよ!」   それを聞いた姉は急に嬉々として、彼の顔を開放し、その代わりに両手を胸の前で組んだ。  弟は嫌な予感がした。姉がそのポーズをするときには好からぬ事を企んでいることが多いのだ。  逃げたいのだが、同じ家に住んでいる以上逃げ切れないことを、これまたよくよく知っている  弟は、早くに訊いていた方が対処も早くでき、自分に掛かる被害も少なくなるだろうとの判断  から、恐る恐る姉に問い掛けた。  「何の話?」   しかし、早くに問い掛けても、今回の被害に関しては少なくなることはなかった。   弟の問い掛けに、くるりと彼を振り返った姉は素晴らしく輝いた笑顔でこう言ったのだ。  「あんたが私の代わりに舞踏会に行くのよ!」  「…は?」  「そうよ、そうなのよ。この私に瓜二つの顔。そして、今までは貧弱だとしか思ってなかった  けど、考え直すわ。素晴らしく華奢なこの身体。これであんたは私の代わりになれるわ」   姉のとんでもない妄想に思考がちっともついていっていない弟は、確かに美しい姉に瓜二つ  の美しい容姿をしていた。   髪の色は母似の亜麻色で違うものの、切れ長の目は男にしては大きめで、通った鼻筋もなめ  らかな顎の線も姉そっくりに華奢である。まだ年若い彼の頬に髭剃りのあとなどなく、肌は  きめ細かい。将来に期待をして、あまり気にしていないが身体も確かに細い。華奢という表現  は合わないだろうが、しなやかな印象だ。  「かつらを作らなくっちゃ。ダンスはいつもと逆をすればいいだけだから、要領のいいあんた  ならすぐでしょ?」   弟の顔を捉えた姉の表情はかつてなく真剣だ。だんだんと事態が飲み込めてきた弟は血の気  が下がる思いをした。   女装自体にひどい抵抗はない。幼い頃は姉のお下がりを着せられたものだし(とは言っても  男の子でも着れるようなものだけだが)、姉の突飛な提案には慣れている。   が、姉がそうして出ろと言っているのは、お城の舞踏会だ。つまり国主催の公式行事だ。姉  が予想していたように王子様の目に止まることなどないだろうが、バレたら確実に不敬罪で捕  まるシロモノだ。  「だ・だめだよ!」   真っ青になって叫んだ弟の顔から、弟がどういう思考の流れでそう叫んだか正確に読み取っ  た彼の姉は、実に魅力的な悪女の微笑み(と、弟には見えた)で  「大丈夫よ。絶対にばれっこないわ。あんたはその顔をアピールしてくればいいの。あとは私  が上手くやるから。誰もあんたに王子様と結婚しろって言ってんじゃないのよ?単に私のこの  美しい顔を王子様に見せていらっしゃいって言ってるの。あんたは私のお見合い写真なの」  自信たっぷりにこう言い放ったのだった。

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 「できたわ!もう、間に合わないかと思っちゃったわ!あぁ、でもこれで安心」   裏通りにある伯父の馴染みのかつら屋から、自分の髪とそっくりの美しい金のかつらを受け  取った姉は椅子に座った、顔色の優れない弟の頭にそれを被せた。   結局、事は姉の妄想した通りに運んだ。   もちろん、現在の準備段階まで、という注釈つきだが。   美しく、評判の娘にとても甘い両親は彼女の涙ながらの(演技だ。当然)訴えに、「今回の  舞踏会はお祭のようなものだから、ばれてもそんなに大したことにはならないだろうから」と  息子を説得した。親孝行で、父の跡を継いで家具屋になるつもりの弟には、師匠で絶対の父の  言葉と母の悲しげな瞳に説得されてしまった。不本意にも。   少し離れて、かつらを被せた弟の全身を眺めた姉は満足そうに鼻を鳴らした。  「完璧ね。あとは行くだけ」   腹を括った弟は不満そうに肩にかかったかつらの髪を払って立ち上がった。  「暑い」   当節流行の襟高長袖のドレスは深緑で、かつらの金髪とをよく相まって、彼の顔を一層派手  めいて見せた。当然だ。もともと彼の姉の為にしつらえられたドレスである。   元々の彼らの顔はよく似ていたが、性格の違いが顔に表れていて、彼らと深く関われば関わ  るほど、似ていることを忘れる。初めて彼らを見た人が驚いて、改めて似ていることを思い出  すといった按配だ。それが、このかつらと不本意な彼の顔で彼らの母親すら驚くほど、よく似  た。見合い写真は完璧だった。

***

  軽やかなダンスミュージックが流れる中で、その辺りにいる娘達よりは格段に綺麗な弟は完  全に壁の花だった。   来ただけで、姉への義理(そんなものは端からありはしないのだが)は果たした。ハズだ。  と、彼は思った。あとはひたすら目立たないように、終わるのを待って帰れば良い。   小さな国とはいえ、国中の自薦他薦の年頃の娘が集まっているのだ。お城の最も大きな広間  が会場であったが、そこから溢れ出して開け放たれた中庭にも廊下にもきらびやかな装いの娘  達が芋洗い状態でうようよしていた。大人数のため、付き添いなどの入場は断られ、純粋に花  嫁を目指す娘達だけだったが、目に楽しいはずの女だらけのその光景もそれだけの人数となる  とうんざりするばかりだった。さっきも人酔いした数人がリタイアして城から出ていった。ど  こかで休もうにも、どこもかしこも人ばかりで休める場所がないのだ。人数の多さに諦めて帰  った娘もいた。   彼も帰りたかったが、舞踏会終了の時間より早くに帰れば、姉に何を言われるか分からない。  「それにしても、こんなので舞踏会って言えるのかな」   ぼうっと人混みを眺めながら、彼は呟いた。   何しろ、人が多すぎて、ダンスミュージックは流れているものの、踊るスペースはない。例  え踊るスペースがあったとしても、ここには女性しかいないので、相手となる男性、つまり王  子様が誰かをパートナーとして選ばなければダンスはできない。そして、王子様は会場が見渡  せる位置にあるバルコニーの椅子に座ったままだ。   王子様の気を引こうと、やたら声高に笑う娘。奇抜なことをしでかす娘。わざと派手に倒れ  てみせる娘。それに大袈裟に反応してみせる娘。そういったことが下品だと思わない階級の娘  達もたくさん来ているのだ。騒がしいことこの上ない。   奇しくも父の言った通り、まるで祭のようだと彼は思った。  「こんなにいて、王子様はちゃんと選ぶことなんかできるのかな。できるとしたらすごい人だ  よな。できないと思うけど。あそこからじゃ、この女の子達皆蟻の子くらいにしか見えないだ  ろうし。遠眼鏡持ってても難しいよな。こんなに集まるのは予想できたんだろうから、数回に  分けて舞踏会を開けばいいのに。だいたい、その前に書類選考か何かで人数を絞るべきだよな」  「その通りだ」   自分の独り言に返事が返って、彼は慌てた。それ以上に若い娘の声しか聞こえない場所で、  いきなり若い男性の声がしたことに驚いた。   声の主は、若いが迫力のある、男の自分の目から見ても魅力的な男性だった。しかし、どこ  かで見たことがあるような気もする。  「あの」   いつの間に、どこから現れたのか、どうしてここにいるのか、何をどう問い掛ければいいか  分からないながらも、声を掛けようとしたとき、周囲から悲鳴とも歓声ともつかない声が上が  った。  「王子様!」   群がろうとする娘達を魅力的な微笑で遮った男性、そうこの国の王子様は彼の手を取り  「一曲、踊って下さいませんか」  と、絶対に断られることのない誘い文句を口に乗せた。   またしても事態の展開についていき損ねた彼、姉の身代わりでやってきた哀れな弟は彼の予  想外の事態を何とか把握すると、目を回しそうになりながらも  「喜んで」  と、決った文句を口に乗せた。   周囲の嫉妬と羨みの視線で溺れそうになりながら、姉のお見合い写真という役を必死に思い  出し、頑張って作った笑顔で慣れないダンスを乗り切り、へとへとになった彼が家に帰り着い  たのは、夜中の12時であった。

***

  自分がどう王子様とのダンスという事態を乗り切り、その後どういう会話をしたかなどとい  うことはほとんど覚えてなかった。   帰り着いた途端、倒れ込むように眠った彼が目を覚ましたとき、「表通りの家具屋の娘が王  子様に見初められた」という噂は既に都中に知れ渡っていた。数日中には国中に広まることだ  ろう。  「お城から迎えが来るの!」  と、興奮して抱きついてきた姉は、彼の労をねぎらい、将来お城で彼の作った家具を使ってあ  げるわ、と約束した。   そんな約束をされても、彼は嬉しいどころか、事態が全てが姉の妄想通りに運ぶことに空恐  ろしい気がするのと、王子様を謀った罪悪感でいっぱいだった。   ところが。   事態というのは、そうそう一個人の妄想通り、都合良く運ぶわけではなかった。

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