∽2∽


 「この娘ではない」
  憮然とした王子の言葉に、そこに居た全ての人間は慌てた。

  迎えの日、数人の従者を引き連れ、何と王子は自らやって来た。
  そして、出てきた姉を見て、数瞬沈黙した後に発した言葉がこれだ。
  念の為、姉と同席せず、庭から様子を伺っていた弟も驚いた。
  確か、あの日王子と踊ったのは彼しかいなかったはずだ。
 「し、しかし、王子が踊られたのはこの娘だったではありませんか」
  王子に付き添ってきた恰幅の良い男が、王子と姉を交互に見ながら言うが
 「違う」
 と、断言する。
  家具屋は全員、すわバレたか、と冷汗を流していたが、一人平然を装った姉は
 「私はそんなに印象が薄かったのでしょうか」
 と、その豊満な胸に手を当て、寂しそうな表情を作って王子に迫った。
  今日の姉は、この日の為に再び新調した、今度は胸元の大きく開いた薄桃のドレスを着ていた。
 首には真珠を何連も巻いて、流行の襟高を演出している。その美しさは従者たちが揃って息を
 呑むほどで、その自信で今も王子に迫っているのだ。
 「印象も何も、そなたと会うのは初めてだろう」
  しかし、王子はその姉の自信に冷淡に返した。
 「初めてではありませんわ。舞踏会で踊って下さったではありませんか」
  切なそうに訴えた姉は、途中から王子が何かを探すように視線を動かすのに言葉を切った。
 「王子様?」
  問い掛けに、視線を再び姉に返した王子は彼女の顔を検分し、問うた。
 「これだけ似ているのだ。しかも、エントリー表にはそなたの情報。これで他人のはずがない。
 あの日、私と踊ったのは誰だ?」
  完全に引き攣った姉だ。しかし、家族同様の身代わりがばれたことに対してではない。自分
 に興味を示さない王子の態度が彼女の高いプライドに障ったのだ。
 「私ですわ。私以外の誰がいるとおっしゃるのですか。この家には私と弟しかおりません。親
 戚に、私共姉弟と同年代の者はおりません。誰が舞踏会に行くと」
 「その弟とやらはどこにいる」
  姉の言葉を遮って、命令し慣れた王族特有の調子で王子は問うた。
 「!」
  ばれることはないと高をくくって息子を送り出した両親は息を呑んだ。
  そして、弟は。
 「ここに…」
  弟は、家族全員が罪に問われるよりは余程ましだろうと覚悟を決めて、室内へ入った。
  姉は、いきなり入って来た弟とその表情に息を呑んだ。
 「ふむ」
  緊張感が高まる中、立ち上がった王子は、いつか姉がしたように、弟の顔を両手で捉えて上
 向かせ、彼の顔を検分した。
  その王子の腕に縋るようにして、姉が自分の方へ注意を引き付けようとする。
 「ね、王子様、弟は確かに私によく似ておりますけれど、亜麻色の髪をしていて、しかも男で
 すわ」
 「いや、これだ」
  だが、王子は断定した。
  家族は全員、諦めの表情で俯いた。
 「王族を謀ったのか!?不敬罪だぞ!」
  先ほどの恰幅の良い男が家具屋の家族全員を睨み渡して、怒鳴った。両親が竦み上がる。
 「私が」
  頬を捉えたままの王子の手に自分の手を添えて、弟は自分一人が罪を負う訴えをしようと口
 を開いたが、それを姉が遮った。
 「私が頼んだのです。どうしても舞踏会に行きたくて。でも、骨折をしてしまって。弟は不敬
 になるからと嫌がっていました。それを無理矢理行かせたのは私です」
 「不敬罪だ!」
  再び男が怒鳴った。それを冷たい目で見遣って、姉は王子に縋った。
 「ですから、弟には何の責任もございません。罰は私一人に」
 「自分の容姿にそこまで自信があるか。いっそ素晴らしいな」
  脈絡のない王子の言葉に周囲は唖然とした。さすがの姉も言葉をなくしている。
  弟だけは、ばれて尚、それを逆手にとって迫ろうとする姉に気付いた王子に感嘆した。
  素早く立ち直った姉が地の顔を出し、微笑んだ。
 「だって、王子様、実際にこの顔に引かれてここまでいらしたではありませんか」
 「しっ失礼な!」
  先ほどの男が三度顔を赤くして怒鳴ったが、王子は楽しげに笑った。
 「確かに好みの顔ではあるが、顔に引かれたわけではないな」
 「あら、でも、その割に弟の顔から手を離さないじゃありませんか」
 「立場上、人を見る目はできている。顔には性格が、目には考えが出るからな。すぐ分かる。
 これに惚れたんだ、私は」
  これ、と再び、弟の顔を覗き込んだ王子に姉が刺を含ませた調子で言った。
 「残念でしたこと。弟は正真正銘男ですわよ」
 「関係ない。これを連れに来たのだ」
 「は?」
 王子の言葉にその場の全員が間抜けな声を上げだ。
 「私はこの者に惹かれ、我が妃とするために訪れたのだ」
 きっぱりと言われ、困惑した弟はおずおずと切り出した。
 「あのう、とても申し訳のない、失礼なことをしたとは思っておりますが、私は本当に男なの
 ですが…」
 「何か問題が?」
  笑顔で返され、冗談なのか何なのか、王子の意図が見えず、弟は絶句する。
 「大問題ですぞ!!」
  代わって大声を上げたのは、先ほどの男であった。さっきまで真っ赤だった顔は今では青く、
 結んだ拳は小刻みに震えていた。
 「男ではお世継ぎを産むことはできないのです!対外的にも、王子がそんな性癖の持ち主であ
 ると思われては」
 「さっきからうるさい人ね。いちいち王子様の冗談を真面目に受け取らなくてもいいのに」
  姉の溜息まじりの小さな小さな独り言は、どうしたことか男に聞き取られてしまったようだ。
 男は姉を顔色とは反対に真っ赤に血走らせた目で睨みつけた。
 「王子は」
 「本気だ」
  男の言葉に王子が割り込んだ。
 「…なわけないじゃない」
  姉が即座にそれを否定する。
 「王子様、貴方を謀ったのは本当に申し訳ございませんでした。罰はきちんとお受けします。
 ですから、もうこれ以上ねちねちと男らしくない嫌味で私ども苛めるのはおよしになって」
  完全に開き直り、混乱した、というよりばかげきったこの事態を収拾するために姉は言った。
 姉のこういうところは、実はひそかに尊敬している弟である。感心したが、王子はそれに協力
 しなかった。
 「人の話を聞かない女だな。本気だと言っておるではないか」
 「王子様に言われたくありませんわ」
  姉の開き直った素の態度に王子は楽しそうに笑った。
 「本当に本気だぞ?不敬罪にも問わぬ。私の理想に引き合わせてくれたのだ、感謝しこそすれ、
 苛めるなどとんでもない」
 「王子様、そういうご趣味でいらっしゃるの?」
  訝しげに王子を見上げた姉に、冗談でも言うことではないと家族は真っ青になった。
 「いや、実は、男は初めてなのだがな、私はあまりそういうことには拘らないらしい」
 「王子っっ!」
  この家に来て何度目かの大声を出した男は目が潤んできていた。
 「拘るものです、そういうことは!あなたは我が国の次期国王なのですぞ!」
 「そなたらは、あの会場にいた誰でも妃にして良いと申したではないか」
 「あの会場にいたどの娘でも、です!」
 「ねぇ、王子様」
  姉が会話に割り込み、この身長差の男にもっとも可愛らしく見える角度で王子を見上げる。
 「私なら、お世継ぎを産んで差し上げられましてよ?顔も王子様の好みでしょう?もともと弟
 は、私のお見合い写真代わりに舞踏会へ行ったのですもの」
  先ほどまで姉を睨みつけていた男は、我が意を得たり、とばかりにその提案に飛び付いた。
 「そうですとも!この姉弟はそっくりではありませんか。同じ顔ならば、姉の方になされませ」
  王子は苦笑した。
 「分からぬ奴らだな。私はこの顔が気に入った、と言った。そして、顔には性格が表れるとも。
 この性格をしたこの顔が好きなのだ。造作のことではない」
 「あら、男女の別には拘らないお方が、そんな些細なことにお拘りに?」
 「些細か?かなり重要な点であると思うのだが」
 「男女の別に比べれば、余程些細な問題です!」
  姉を援護する形で男が口を挟む。王子は真面目な顔で対抗した。
 「重要だぞ。何しろ、妃だ。一生もののパートナーだぞ。相性はかなり重要な点だ」
 「相性でも…王子様、私のこと気に入って下さっているでしょう?」
  自信たっぷりに姉が言い放つのに、王子は真面目な笑顔でうなずく。
 「面白い女だと思う。しかし、そなたの気性では私とは親友にしかなり得ないのだ」
 「友情と愛情の境目なんて、それこそ些細な問題ですわ。友情がいつしか愛情になることも」
 「友情と愛情の境目は些細でも、友情と恋情は明らかに違うと思うぞ」
 「詭弁のように聞こえますわ」
 「詭弁はそちらだろう」
  打てば響くような会話は確かに親友のようではあった。
 「では、先程こちらの方が申された対外的問題はどうされるのですか?」
 「そう。そうだな。確かに対外的に妃が男というのは不味い。が、あの舞踏会で見事に女を
 演じきったのだ。何とかなるだろう」
 「呆れた楽天家ですわね。弟は成長期ですのよ。しかも、いくら成長してもお世継ぎを産める
 身体にはなりませんのよ?」
 「子供も産めない程病弱ということで、あまり表に出さなければ良い」
 「そんなお妃様で皆が納得しますかしら?」
 「させるさ。私が『結婚を許してもらえないのなら、地位を放棄する』とでも言えば、しない
 わけにはいかなくなるだろう」
 「我が儘な方ね」
  共犯者のように二人は笑い合った。弟は嫌な予感が背筋を這い上がってくるのを感じた。
 「だいたい世継ぎなんてものはどうとでもなる。要は、いかに私の妃としての役目を果たせる
 かだ」
 「表にあまり出ることもできないようなお妃様が、王子妃の激務をこなせまして?」
 「普段は妃付きの小姓として、妃の指示という形で動けば問題なかろう」
 「…それは、うちの方でのご近所様への言い訳にも使えますわね。弟がお妃様なんて笑い者だ
 けれど、王子様付きの小姓なら出世だわ」
  だんだんと話の方向がおかしくなってきていることに気が付いた男が慌てて口を挟んだ。
 「お世継ぎっ、お世継ぎの問題がございますぞ!」
 「だから、それは何とでもなると言っただろう」
 「あら、別の方にお産ませになる気?我が儘な上に浮気な方ね」
  姉は意地悪く笑ってみせる。親しげなその態度に弟はぞっとする。
 「幸いにして、一夫一婦制のこの国において、私と父上だけはそれが許されているからな」
 「まあ、仕方がありませんわね」
  このままいくと何やら恐ろしげな結果に向かって一直線に暴走しそうで、あまりに呼吸の合
 った、とんでもない二人の会話に口を挟めなくなっていた男と同じくらい真っ青になった弟は、
 それまでの展開に硬直していた口を必死の努力でもって動かした。
 「あの、私の意思は…」
  その言葉に取り縋るように、口をぱくぱくさせていた男が叫ぶ。
 「そう!本人の意思を無視して事を進めようなどとは、いくら自国の民とはいえ、いや、自国
 の民だからこそ、賢明なる君主のすることではございませんぞ!」
  それを聞いた王子は不思議そうに、この会話中、まだ放していなかった弟の顔を覗き込んだ。
 「嫌なのか?」
  臣下の反対は予想していても、当人の反対は予想だにしていなかったらしい、その様子に逆
 に不思議になりながら、無礼にならないような言葉を探して答える。
 「王子様は、とても魅力的な方だとは思いますが、私は可愛らしい女性と平凡な結婚をして、
 家業を継ぐことが、幼い頃からの夢でして…」
  両親がこくこくとその言葉に必死に頷く。ここで、息子の父親が決死の思いで口を挟んだ。
 「王子様、王子様がこの国の後継ぎでいらっしゃるように、継ぐものの大小はあれ、息子は我
 が家の後継ぎであります。ですから…」
  挟んだが、だんだん険しくなる王子の顔に尻すぼみに口を噤む。その様子を、というわけで
 はないだろうが、笑った姉は決定的な言葉を口にした。
 「お父様、絶対君主制の我が国で頂点に立つお方に逆らうなんて、恐ろしいことをしてはなり
 ませんわ。ねえ?」
  姉に同意を求められた弟は困り果て、否定してくれることを願って、王子の顔を見上げた。
 「大丈夫だ。私はそなたを大切にするし、そなたを夢中にさせる自信もある。そなたが幸せな
 らば、ご両親もきっと許して下さるだろう」
 「いえ、ですから」
 そういうことではなくて、と言おうとした弟の口は、恐ろしいような王子の目にあって閉じた。
 「それとも、私にはそんな魅力はないと?」
  低い声に姉以外の全員が凍りついた。
 「王子様はとても魅力的な方ですわ。家業は弟子内の誰かが継げば良いし、どうしてもと言う
 なら、私が将来何人か子供を産んで、その内の一人をこの家に戻しますわ。ですから、どうぞ
 ご安心なさって」
  姉の笑い声は悪魔の声に聞こえた。
 「それは良い」
  王子の声がそれに唱和し、ばたんっという音と共に口を挟みきれなかった男と母親が卒倒し
 た。弟も卒倒したかったが、いつの間にやら、顔だけでなく身体全部を抱きしめられ、叶わな
 かった。
  

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