∞1∞


  男があんな風に身も世もないように泣くことがあるなんて、それまで思いもしなかった。
 それは正に「慟哭」だった。

 「恭也、恭也っ!!」
  白い布を掛けられた遺体に取り縋って揺さ振る。遺体が落ちそうになるほど強く。看護婦
 らしき人が止めようとしたけれど、強く払われる。その人が弾き飛ばされてからは、誰も彼
 を止めようとはしなかった。
  揺さ振り続け、遺体が腕の中に落ちてくると、彼はそれを抱き締めて泣いた。生きていた
 ら窒息しそうな強さで抱いていることが白い布の皺と彼の腕の様子で分かった。
  しかし、遺体の顔は穏やかなままで、それが彼が死んだことを如実に伝えていた。
  抱き締めた彼の慟哭と抱き締められた彼の静寂。その対比は冷え冷えと俺に迫った。
  

***

 「おはようございまーす」   後ろから抱きつかれ、引っ繰り返りそうになったのを抱きついた相手が支える。  「ね、今夜いい?」   そのままの姿勢で耳元に囁かれ、首を捻って相手を見上げる。  「朝っぱらから、夜の話すんなよ」   眉を顰めてみせた俺に、相手は正反対の爽やかな笑顔を見せた。  「朝だから夜の話すんじゃん。夜に夜の話したら遅いでしょ?」   不自然にならないダークブラウンの髪に端正な顔。やや口が大きいのがその整った顔を優し  い、爽やかな好青年という感じにしている。もちろん、その印象は笑顔にも大きな要因がある  と思われる。女の子によくもてる、スカウトもよくされるという彼は名前を高津恭平という。  ゲイでもないし、不自由もしてないハズの彼は何故だか、俺が好きだと言う。言って、俺を抱  く。奇特なヤツだ。   この道は通学路で、このまままっすぐ20分も歩けば恭平の高校、途中のバス停で直通のバス  に乗れば俺の大学がある。つまり、多くの学生が歩いているわけだ。その往来でのこの行為は  非常に目立つ。  「津ー!おはよー。何、いいもん背負ってんのー?」   溜息を付いていた俺に同じサークルの篠田が声を掛けてきた。   そう、俺も津という。津和志。高の字が微妙に違うが、口にする分には全く同じ苗字だ。  「妖怪子泣き爺」   いいもんじゃねぇよ、と返すと、篠田はいいもんよ、と返し、まじまじと俺の背後を見る。  「彼氏、格好良いわねぇ。いらないなら、頂戴よ」   どこまで本気か分からないが、社交辞令と取ることにしたらしい恭平がにっこりと笑った気  配がした。それに呆っとしたように見惚れていた篠田は更にその向こうに目をやって叫んだ。  「バスが来た!」  「げ!おい、恭平放せ!」   素直に手を放した恭平の  「昼に電話するから!」  という声に片手を上げ、既に走り出している篠田の背を追い掛けた。  「あーあ、もう少し目の保養したかったな」   一コマ目に間に合うぎりぎりのバスは結構混んでいて、俺たちは並んで立つことになった。  「彼氏、城崎でしょ?頭もいいんだ〜」   カーブのたびにふらふらする篠田のピンヒールが恐ろしい。  「で、どういう関係?」   どこかうっとりと、おそらくは恭平の容姿を反芻していた篠田は、突然こちらを向いた。  「高校の後輩」  「え?じゃあ、津も城崎だったんだ?」   どうりで頭良いはずよね〜と学歴主義丸出しで感心している篠田に肩を竦めてみせた。   城崎というのは、この辺りではかなり有名な進学校だ。全国的に見ても結構良いレベルで、  お陰でブランド校として、その制服も結構知れ渡っている。恭平がモテる要因の一つだろう。  「ね、改めてさ、紹介してくれない?」  「年下だぞ?」   篠田はストレートで入ってきてるから、完全に俺と同い年だ。と、いうことは2つも。  「年下流行の時代に何言ってんの。津もさ、お姉様な彼女探した方がいいよ。津、絶対に  可愛がられるタイプだもん」  「何だよ、それ」   くすくす笑う篠田に一応憮然としたような表情を作って見せたが、確かに俺はそういうタイ  プだ。自覚はある。この自覚がどうしようもないところに結びついているのだが。  「ね、お願いよ」  「一応言うだけは言ってみてやるよ。ただし、期待はするなよ」  「しないわよ。あんな格好良い子に彼女とかいないわけないでしょ。ただ、彼女いなくて、遊  び相手とか探してるなら、食べるチャンスはあるわけじゃない?」  「喰う気か?」  「だめ?」   それで落とすつもりなのだろう、色っぽい上目線で言った篠田に俺は溜息をついた。

***

 「…ンッ………っは、あ…」   腰が勝手に揺れる。   抱かれるという普通はありえない状態に俺は慣れるどころか、そこから快感さえ得ることが  できるようになっていた。  「っ…!ああぁっ…」   中で恭平がイッたのが分かる。同時に俺も達していた。   ぐったりと倒れ込んだ身体はまだ痙攣していて、それが快感なのか不快感なのかいつも不思  議に思う。痙攣が収まってくると、何となくホワンとしてくる。それは気持ちが良い。  「…ね、週末は?」   その気持ち良さに浸っていると、しばらくして恭平が言った。  「…今イッたばっかりだろうが。何でそういう話するかな」  「だから、週末に週末の話をしても遅いでしょ?」  「余裕だな、受験生」  「天下の城崎生だよ?上手に息抜きもしなきゃ」   息抜きばっかしてるように思えるんだけどな、俺は。   にっこり笑った恭平にそう言ってやろうとして、ふと思い付いた。  「…そういえばさ、今朝の女覚えてる?」  「ちょっと派手目の美人だったね。あのたっかいピンヒールで全力疾走してたのには感心した  けど?」  「俺の同級生なんだけどさ、お前のこと喰ってみたいんだと。紹介しろってさ」  「喰われたくないなぁ…」   嫌そうな顔をした恭平に思い付きを言うのをわずかに躊躇ったが、言った。  「週末の息抜き、してもらえば?」   言った瞬間にすごい自己嫌悪に襲われた。恭平が一瞬だが、すごく傷付いたような顔をした  のだ。  「やーだよ。俺は和さんじゃなきゃ息抜きできないんだ。綺麗なお姉さんに可愛がられるより  和さんを可愛がる方がいいの」   謝罪の言葉を口にするより先にへろりと言われてしまい、そのままそれは口にできなくなっ  た。タイミングもだが、それを口にすることが余計に傷付けることだと分かったからだ。  「週末、もしかしてダメなの?」   気まずく黙ってしまった俺にいつもの軽い調子で、恭平が顔を覗き込んでくる。  「…うん」  「…龍さん?」  「…うん」   そっか…と言ったきり、恭平は黙り込んだ。申し訳ないような後ろめたいような沈黙に、今  日はそれ以上はなかった。

***

  週末。   俺はあるマンションに向かっていた。   通い慣れた道は、マンションが近付くにつれ、何か俺を狂わすような磁気でも発しているよ  うだ。俺は毎回ここを通る度に、それが例えマンションへ行く為に通るのではなくても、少し  ずつ狂っていくような気がする。足が重くなっているような気がするのに、重い足は勝手に動  いて、周囲の景色は同じ速度で流れていく。不思議な感覚。結局、今日もまた変わらず到着し  てしまった。   階段で2階に上がり、一番奥の部屋の前に立つ。   鼓動が早くなりすぎて、苦しい。痛い。   苦しい。   痛い。   少しの間じっと堪えて、苦しいのに慣れた頃にチャイムを押す。   インターホンからの応答はなく、直接ドアが開いた。   開けて出てきたのは、不精髭を剃ってきちんとすれば、いや例え不精髭を生やしたままでも  きちんと「生きて」くれれば、とても頼りになる風情の男前だ。   真っ黒の髪が暗い目元を隠していたが、こちらを見たのが分かった。  「龍さん…」   呼ぶと、体をずらして、俺を入れてくれる。   これが…俺の好きな人。   俺の永遠の片思いの相手。

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