*お花見*

 よく晴れた日のこと。
 景色の全ては春のパステルカラーで、秋ほどの高さはない空は吸い込まれそうな雰囲気も
なく。
 どこまでもどこまでも穏やかで和やかな春の一日。
 暖かな風に乗るようにして早足の少年が二人。

「稔ーっ!こっち!ほら、すっげぇ綺麗だ!」
 街を一望できる高台に到達して、両手をいっぱいに広げて後ろを振り返った少年の名前は
春名桜太(はるな おうた)。4月から、この下の高校に通うことになっている。
「うん。そっちも綺麗だよね。だけど、こっち見て。すごいよ」
 あちこちに薄桃色の塊の見える眼下の景色を微笑んで見たものの、更に上を指差して桜太
のもう着ることのない制服の裾を引いたのは、同じく、秋山稔(あきやま みのり)。
 二人は先程、入学する高校の説明会に出た帰りだった。
 荷物を母親に預け、途中のコンビニで昼食を仕入れて、二人は新しい学校の裏手にある
この高台に上ってきたのだった。
 桜が薄桃色に煙るようなこの丘は結構高く、学生には春休みだが社会人には平日仕事の
お昼であれば、花見をしている人も居ず。秘密の場所みたいだ…と、桜太は思った。
 稔が桜太の手を引いて立った場所は、大きな桜の木の正面で周囲も桜だらけ。見渡す限り
桜色。
 しばらくの間、二人はぽかんと口を開けるようにしてその景色を見ていた。
「すごいね…」
「うん、すごい…」
 圧倒されていた気持ちを現実に引き戻したのは桜太の腹だった。
「…腹減ったな」
 くすりと笑った稔はコンビニの袋を振った。
「ご飯食べよっか」
 桜の真下ではなく、桜が一番綺麗に見える場所に陣取って、桜太が早々に座り込む。
「汚れるよ?」
「いいじゃん。もう着ないんだし」
「そっか…。そうだね」
 自分の着ている学ランを見下ろし、納得するように頷いて、稔も隣に腰を下ろした。
 二人は中学の制服を着ていたのだ。
「結構制服じゃないやつもいたな」
 コンビニ弁当の封をぴりぴりと開けながら、桜太が言った。
「うん。まあ、もう卒業してんだし、逆に着てる方が変なのかも」
「でもさ、なんかGパンとシャツとかじゃあ行き難いし、でも、高校の制服はまだないし」
「だよね」
「でも、学校違いとはいえ、学校行くのに制服着てないのも、なんかなー」
「うん。皆そう考えて制服だったんだろ?」
「うわっ!ご飯眩しいっ!」
 大袈裟に両腕で目を庇った桜太に稔が笑い声を上げる。
「確かに眩しいね。すごい反射してる」
「なんかさ、すっげぇ天気のいい日に新雪見てるみてぇ」
「ゴーグルがいるね」
「目痛いけど、すっげぇ美味そうに見える」
「ほんとだ。光を食べてるみたいだね」
「味はただの白ご飯だけどな」
 太陽を反射して光る弁当の白飯すらも笑えてくる。全てのものが浮き立つ気分を増長させる
要因になっていて、暗いことなど一つも見付からない。
「早く高校の制服できないかなー」
「楽しみだよね」
「ブレザーってのが、大人っぽい感じするんだよな」
「西中は中学でもブレザーだったけどね」
「違うじゃん!なんかさ!高校のブレザーとは!ガキっぽいっていうか」
「まあね。多分、着てる人達のせいなんだろうけど、そう見えるよね」
「そうそう。稔、似合いそうだよな」
「桜太も似合うと思うよ」
「そっか?」
 えへへと笑った桜太に目を細めた稔は、お茶を一口飲んで、またうっとりと桜を眺めた。
「大人か…」
 それをどう聞き違えたのか、桜太もうっとりと桜を眺めながら言った。
「同じクラスになれるといいな…」
「うん…」
 それから、少しの間黙々とコンビニ弁当を口に運んだ二人はほぼ同時に食事を終え、ゴミを
コンビニの袋に集めた。
 ごろん、と今度は桜の下に転がる。
「気持ちいいな…」
 汚れることを気にしなければ、下草は柔らかく、頬や前髪を弄っていく風は暖かく、桜が
ブラインドになった日差しも心地良い。
 二人はうっとりと目を閉じたり、開いたりしながら、その空気を楽しんだ。
「眠くなるな」
「幸せになるね」
 稔の言葉に少し驚いた桜太は、しかし納得して頷いた。
「こういうの、幸せって言うのかな」
「俺はね。すっごい幸せ」
「ん?」
 稔の声がそれまでと違う音を出したので、桜太は首だけで稔を振り返った。
「ほら、桜太。こっちに来てみてよ」
 起き上がった稔に手招きをされて、桜太も起き上がる。そうして、側に寄ると、稔は自分の
寝ていた場所に印を付け、指差した。
「ここ。ここに寝てみて」
「?」
 桜太が言われた通りに横になると、稔はその桜太の目を手で塞いでしまう。
「いい?目を閉じてね。俺が手を離してから、ゆっくりと目を開けてみて」
 桜太が頷くと、稔は殊更ゆっくりと手を外した。
「…うわぁ…」
「ね、すごいでしょ?ここ、特等席だ」
 桜太の目の前、正確には目の上に広がったのは一面の桜だ。空の青も見えない完全な桜色。
丘の傾斜のせいか、目の端の端まで桜色なのだ。左眼の端に映る稔の姿以外は全て。
 平行感覚がなくなって、どこか別の世界にでも放り出されそうな気分に捕われる。くるりと
世界が回転しそうな感じもして、少し不安になった桜太は稔の制服の裾を握った。
「なんか、眩暈しそう…」
「俺はね、幸せで眩暈がしそうだったよ」
 また、さっきのようないつもと違うトーンの声を出した稔に桜太が目を向ける。
「……桜太に包まれてるみたいで…」
 驚いて、起き上がる。
「桜ってね、名前のせいだけじゃなくって、俺、桜太のイメージなんだ…」
「うん…」
 以前、そう言っていたのを聞いたことのある桜太は頷いた。
「目の前が全部桜で、横にいるのは桜太で。全部全部が桜太で…」
 呟くような稔の言葉が呪文のように、桜太は体温と心音が上がっていくのを感じた。
「俺ね…」
 うっとりと頭上の桜を見ながら言っていた稔が、ふいに視線を桜太に向けた。
「桜太のことが…好きなんだ…」
 瞬間、桜太は耳どころか首まで真っ赤になった。
「俺…っ」
「ずっと…ずっと好きで…高校生になったら言えるかな…って思ってた」
「俺…俺…」
「友達の好きじゃなくって…大人の…恋人の好き…だから」
「俺っ!」
 途中から俯いていた桜太がかっと頭を上げた。稔は真剣な目で桜太を見つめる。
「考えたことなくて!」
 大きな声で言った桜太に稔は頷いた。
「友達の好きとか、こ、恋人の好きとか…全然考えたことなくて、分かんないけど、俺、俺は
稔が一番好きだよっ!」
 本当はちょっと考えたことがあるのだ。桜太は。クラスメイトやクラブの友達と好きな子
とかの話をした時に。その時、浮んだのは稔の顔で。でも、稔は親友で。そういう時に考える
相手じゃないはずだから、なんだか申し訳なくなって、分からなくなって、考えるのをやめた
というのが正しいのだ。
「俺が一番?」
 静かに聞いた稔にこくこくと頷く。
「誰よりも?」
 目をぎゅっと閉じて、再度首を振る。
 そうして、桜太がそうっと目を開けたとき、見えたのは、背景の桜に勝るとも劣らない稔の
蕩けそうな笑顔だったのだ。
 大好きな稔の、見たことない程綺麗な笑顔に呆っとなって、桜太は無意識の内に呟いた。
「稔、好き…」
 自分の声が耳に届いた瞬間、我に返って更に赤くなる。稔の笑顔はもう崩れんばかりで…。
「…桜太、キス…してもいい?」
 言われた言葉にも頷いてしまう桜太だった。

 そっと触れた唇は桜の花びらのようで、二人の頬は桜色。
 どこまでもどこまでも幻想的な風景に、これが桜の見せた幻想ではなく現実でありますよう
にと思わず祈ったのはどちらだったか。
 とりあえず、ここに初々しい恋人たちが誕生したこと以外に、全て世はこともなし。
  

-END-

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