∞眼鏡の恋人∞

「眼鏡しない方が可愛いね。」
 などと、どこの口がそんな気障ったらしい台詞を吐いているのだ
と、亮祐(りょうすけ)は思った。が、そんな台詞を吐いたのは自分のこの口だ。
 最近出来たばかりの可愛い恋人に対して、自分の口は別個の生き物になってしまったかの
ように、甘い言葉を垂れ流す。実際には別個の生き物なわけではないから、それらの言葉は
全て亮祐の思っていることで、恋愛に呆けたらしい頭は理性を働かせず、無意識に言葉を
ぽろりぽろりと落としていく。
 でも!と、また亮祐は思った。
 それが仕方ないかと思うくらい、この恋人は可愛いのだ。欲目か盲目か、もう分からないけ
れど、めろめろになっている自分に自覚はある。
 世間様にそのバカ惚気をふれて回らないという自制がなんとかきいているのは、その可愛い
恋人が同性…男だからだ。
「そうですか?」
 レンズの汚れを拭くために取った眼鏡と亮祐を交互に見て、朝喜(あさき)は首を傾げた。
 皆に言われるので、存在を主張するような眼鏡はしていない。細いブロンズ色のフレームの
眼鏡で、最近のお気に入りだ。
 実は朝喜は眼鏡マニアだった。
 マニアというほどではないが好きなアイテムで、とりあえず常用しているのが3つ。洒落で
持っているのが、グラサンを合わせて6つだ。
 視力は中学の頃からどんどん落ちて、今では眼鏡は必需品でもあるが、落ちる前から伊達
眼鏡は持っていた。
 どことなく不満そうな朝喜に、亮祐は大きく頷いた。
 睫毛が長く黒目がちの大きな目は朝喜の特徴で、亮祐の大好きなパーツだ。(いや、歯並び
の良い口元や狭い額も可愛いのだけど、と、亮祐はまた誰にともなく心の中で付け加えた。)
 昔存在したような分厚いレンズではないから、それによって目の大きさや輪郭の線が極端に
変わって、顔全体のバランスが崩れるということはないのだけれど、そのままで存在感を主張
する朝喜の大きな目や綺麗な輪郭線には邪魔な添え物のように感じられた。
 せっかくの可愛い顔が隠されちゃってるじゃないか!と、また思う。

「コンタクトにはしないの?」
「眼鏡…好きなんです」
 問うた亮祐に朝喜は答えた。
 なりたての恋人同士はまだまだ知らないことが多くて、その分知りたいことも多くて、会話
の半分は質問と回答だ。
 大学生の朝喜が3つ年上で社会人の亮祐と知り合ったのは、バイトに行った先が亮祐の会社
だったからだ。
 仕事内容は事務雑用だが、その雑用のうちに力仕事が含まれるので、会社は男子学生を募集
していた。立ち仕事は嫌だなぁと思っていた朝喜は、一も二もなく応募した。事務も嫌いでは
ない。そして、採用が決まった。
 事務仕事はともかく、色んな雑用も引き受けるので(というより、仕事のメインはその雑用
だ。)自然多くの社員と言葉を交わすことになる。
 そして、最も雑用を頼む割合が多いのが企画営業職だ。亮祐はその企画営業である。
 話す機会が多ければ親しくなるのは道理で、休日出勤に付き合えばランチを奢ったり、そこ
で話が合えば次の休日に出掛けたりという仲になっていった。
 付き合い始めたのは、仕事とは関係なく休日に一緒に出掛けた回数が二桁になったつい先日。
 それ以前からそんな雰囲気はあったから、実際には「大手を振って恋人と言える話し合いを
付けた日」とでも言おうか。(もっと実際には「大手を振って恋人と言え」ないのだが。)

「そうなの?」
「色々持ってるんですよ。LOOKのOの部分にレンズが嵌って眼鏡になってるのとか、グラ
サンのレンズに透かし彫りみたいなのが入ってるのとか」
「へぇ」
「実際には仮装パーティーとか大学祭のときとかにしかつけることないんですけどね、そうい
うのは。普通のも、太いフレームのとか、レンズ部分のフレームが六角形になってるのとか、
色々持ってますよ」
「今度見せてくれる?」
 眼鏡に興味はなかったが、大きな目をきらきらさせながらコレクションのことを語る朝喜を
もっと見たくて、ついでに次のデートの約束も取り付けたくて、姑息に亮祐は言った。
「いいですよ」
 もちろん!と笑顔になった朝喜に、次回の逢瀬の約束を取り付けた亮祐は姑息ついでに、と
先程の話を生し返した。
「コンタクトが嫌いなわけじゃないんだ」
「う〜ん、嫌いじゃないですけどね、面倒臭がりなんで」
「眼鏡してる方が面倒臭くない?着替えとか、色々」
「そうでもないですよ。それよりも、着ける時とか外した時に手間がかかるコンタクトの方が
面倒かな。眼鏡だとひょいひょい着けたり外したりできるでしょ?」
「使い捨てだと、そんな手間いらないでしょ?」
「あ、俺乱視が入ってるんで、ソフトはダメなんですよ。使い捨てってソフトレンズでしょ?
矯正きかなくて」
「え?そうなんだ?」
「そう。だから、ハード。ハードってソフトより手入れが楽なはずなんだけど、それでも面倒
なんですよね」
「あ、でも、持ってるのは持ってるんだ」
「持ってますよ。入学式とか成人式とか、フォーマルの時は皆が眼鏡しない方がいいって言う
から」
「見たいなぁ〜」
 すかさず、亮祐は言った。
「コンタクトでフォーマルな朝喜って、見てみたいな」
「え?」
 戸惑った顔を見せた朝喜ににっこりと笑い掛けた亮祐は、その顔を見た朝喜が赤くなるのを
確認して、満足した。

翌週末、これは以前から約束していた買い物デートに、朝喜はコンタクトで待ち合わせ場所に
向かった。
「甘いよな〜。つーか、露骨かな…」
 ぶつぶつと呟いてしまうのは、そのコンタクトのことだ。
 亮祐が自分の好みで朝喜にコンタクトにして欲しがっているのは分かった。見え見えだし。
しかし、基本的に眼鏡が好きで、コンタクトは面倒でしたくない、という自分のスタンス(と
言うほどのものでもないが)を朝喜は崩したくなかったし、崩すつもりもなかった。 が、
「あんな顔で笑われちゃったらなぁ…」
 確信はしてないかもしれないが、あの亮祐のそそのかすような笑顔に朝喜が弱いことを多分
感じ取っているのだ、亮祐は。
 演歌の女か何かではないのだから、付き合うとは言っても相手の言うがまま、相手の好みに
合わせるようなことはしたくないと思っていた。のに、まんまと乗せられている、ような気が
する。
 その程度のこと、と言われそうだが、男同士なだけに何となしに負けたような気がしてしま
うのだ。
 でも、つい喜ぶ顔が見たくて…。
 そして、亮祐は朝喜が想像した通りの嬉しそうな顔をするのだ。
 いつもと変わらないようなふりをして、でも、時々嬉しそうにコンタクトの自分の顔をちら
ちらと見る亮祐に、「ま、いっか」という気になってくる。

「眼鏡、見てみる?」
 罪滅ぼし、というと大袈裟過ぎるが、多分、いや確実に自分の為にコンタクトにしてくれた
朝喜に、少しそんな気分で亮祐は言った。
 可愛い顔を堪能させてくれたお礼に大好きな眼鏡をプレゼントするのもいいだろうと思った。
 そんな亮祐の譲歩(これまた大袈裟な表現だが)を、にっこりと笑って朝喜は受け取った。

 最近流行りの安い早いスタイリッシュな眼鏡屋に入る。
 明るい店内には、綺麗にディスプレイされた眼鏡がたくさん並んでいた。
 夏向けのカラフルなフレームの並んだ手前のテーブルを通り過ぎ、朝喜が向かったのはシン
プルなアルミフレームの並ぶ棚の前だ。
 その後を追った亮祐は、熱心に見入る朝喜に思った通りに声を掛けた。
「それがいいの?買ってあげようか?」
 ふるふると顔を振った朝喜は、一つの眼鏡を手に取ったまま、後ろを振り返って笑った。
「ううん。これは亮祐さんにいいな、と思って」
「俺?」
 きょとんと亮祐は目を見張った。
「うん、俺、亮祐さんの眼鏡姿、格好良くて好きなんだ」
 ますます目を見張った亮祐は、その朝喜の笑顔にわずかに頬を赤くした。
 朝喜の台詞は本当だった。
 亮祐は朝喜と逆でコンタクト常用者なのだが、時々眼鏡を使用することがあった。
 朝喜と違い、マニアでも何でもない亮祐が持っている眼鏡は一つだけだが、スーツ姿の亮祐
にその細い銀色のフレームの眼鏡はハマっていて、より仕事のできる男に見せていた。
 亮祐本人はきつい印象を与える自分の眼鏡姿を営業に向かないと思っていたが、朝喜は実は
きりりとしたその姿に惚れたのだ。

 翌々週、約束通りに眼鏡のコレクションを持って、亮祐の部屋を訪れた朝喜が目にしたのは
眼鏡を掛けた亮祐の姿だった。
 スーツ以外の服で眼鏡を掛けた亮祐を初めて見た朝喜は、やっぱり格好良いと思った。
「今日は外出しないし…」
などと言い訳めいた亮祐の言葉を朝喜は聞いてはいない。亮祐はいつだってコンタクト派だ。

 少しでも相手の好きな自分でいたい。
 相手の言うがままなわけじゃなくて、好みに無理矢理合わせるわけでもなくて、それは自分
のしたいことなのだ。
 そして、それは自分だけではなく、相手も同じこと。

 自分の為の眼鏡姿に勝ったような優越感みたいなものを感じながら、うっとりと笑った。
「亮祐さん、かっこいい…」
 照れる亮祐で眼鏡の着せ替えっこをして、思う存分遊んだ朝喜は当然今日もコンタクトだ。

 お気に入りのレンズの細い眼鏡を亮祐に掛けた朝喜は掛けたその手を掴まれ、亮祐を見る。
 目が合った二人は、そのままどちらからともなく唇を寄せた。

 そして、二人して思うのだ。
「キスをするときは二人とも眼鏡しない方がいいね」
  

-END-

| HOME | BACK | BBS | E-mail |

【お買い物なら楽天市場!】 【話題の商品がなんでも揃う!】 【無料掲示板&ブログ】 【レンタルサーバー】
【AT-LINK 専用サーバ・サービス】 【ディックの30日間無利息キャッシング】 【1日5分の英会話】